【提携先インタビュー#05】「モノを渡して終わり」から「持続する支援」へ。国際協力や災害支援の現場のサステナビリティ向上に取り組むAAR Japan
- On 2024年7月31日
- AAR, AAR Japan, UU Fund, 国際人道支援, 寄付, 災害支援
こんにちは!ハーチの杉山です。
当社ではUU Fundという寄付プロジェクトを実施しています。当社が運営するウェブメディアの1UU(ユニークユーザー)につき0.1円をNPOなどの団体に寄付するという当社独自の取り組みです。読者を増やせば増やすほど、環境や社会がよりよくなっていく仕組みを作りたいという想いから、2021年にスタートしました。
寄付先は、当社の事業に関わりのある業界や地域、活動内容などを踏まえて毎年検討しています。
2023年から2024年にかけて、世界各地で様々な災害や紛争が起こりました。2023年2月にトルコ大地震災害、2023年4月にスーダン軍事衝突、2023年7月に北九州での豪雨災害、2023年8月にラオス豪雨被害、2023年9月にモロッコ大地震災害、2023年10月にアフガニスタン大地震災害、2024年1月に能登での大地震災害、2024年4月に台湾東部でも大地震災害が起きるなど、日本を含む世界の各地で様々な人道危機が発生しています。
こういった人道危機の際に、困難な状況に置かれている人々に寄り添い、目の前にある危機への支援だけでなく次の人生を歩み始めるまでを支えている「AAR Japan」(以下、AAR)にUU Fundで寄付を行いました。
AARは「日本生まれの国際NGO」で、1979年から45年間にわたり65以上の国と地域で活動し、現在は18の国と地域で活動しています。今回は、AARの事務局長・専務理事である古川千晶さんに、国際協力や支援活動に関する詳しいお話を伺いました。
話者プロフィール
古川 千晶 氏:特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)事務局長・専務理事
大学卒業後、民間企業を経て、イギリスの大学院で国際開発学を学んだ後、2010年よりAARへ。駐在員としてハイチで活動。2012年より東京事務局でアフガニスタン、フィリピン、ネパール、ミャンマーなどの緊急人道支援に従事。2021年より事務局長、2023年より専務理事。
Q. 国際協力活動の現場で感じる最近の変化を教えてください
国際協力活動は、人道支援と開発支援と呼ばれる活動の二つにわかれています。人道支援は、生命や福利を脅かされる人道危機に対して、必要な支援を迅速に届けるというものです。また、人道支援には対応フェーズがあり、それぞれ支援内容が異なります。例えば人道危機の発生直後、子どもたちは教育を受ける機会を奪われがちです。しかし、それは本来在るべき形ではありません。そのため、シェルターや食糧等の基本ニーズだけではなく、教育や心のケアも人道支援の対象となります。
一方で、開発支援はもっと中長期の目線で地域に入り込んで、地域の住民と一緒に進めていく活動で、同じ国際協力活動でもアプローチの仕方が全く違います。
私自身は2010年1月に発生したハイチ地震の被災者支援を行いたいと考えて、2010年10月よりハイチ駐在員となりました。その時の活動内容はもちろん良い支援ではあったと思います。ただ、いま地震が起こった国や地域で実施している支援とは、全く同じ形にはならないと考えています。
具体的には、一昔前までは部外者の私たちがモノを渡すことに重点を置いた支援で、それが良しとされていた面もありますが、今は支援の質や支援の形も変わってきています。現地の人達を中心に、あるいは現地の人も巻き込んで支援活動を進めていくことで、私たちの支援を通じて出た成果ができるだけ長く持続するような形で支援を行うように取り組んでいます。
また、各団体がそれぞれの考えのもとで勝手に支援活動をするというのは支援の現場では許されることではないため、支援団体同士が調整し、公平性などにも配慮をしながら活動を実施します。そういったことの重要性が改めて強調されるようになり、また整備されたのはここ最近の動きだと思います。
Q. ご活動される中で課題に感じていることを教えてください
「自分たちが世界から忘れられていることを知っている」。これは、ウガンダの難民の男の子の言葉です。
様々な地域で紛争や災害などが起こって、避難民あるいは難民と呼ばれる人たちがものすごく溢れかえっているんですが、新しいトピックにどんどん乗り換えられてしまって、そのとき起きた出来事もものすごく速いスピードで「過去のもの」になってしまう。しかし、私たちにとっては過去の出来事であっても、その地域で被害を受けた方々にとっては今まさに毎日のリアルな生活の現場です。
関心が失われたアフリカなどの地域では、復興や復旧のフェーズになかなか移行できないまま、それが全然改善されることなく今もずっと続いていて、事態がどんどん中長期化してしまっています。
こういった状況は、その国や地域のコミュニティの人たちだけの責任というわけではないはずです。だから、国際社会や私たち一人ひとりが、発生した人道危機を忘れずに起きた事象に対して、社会を構成する一員として責任を持って支援をし続けるというのはすごく大切なことではないかと考えています。
Q. 2024年1月の能登半島地震でも現地支援をされていましたが、現在の状況はどうでしょうか?
1月1日に能登で地震が起きてから私たちはすぐに情報収集を始め、1月2日には現地入りし、翌日から支援を開始しました。地震から半年経った今でも、能登はいまだに復旧が進んでいない地域があり、通常は1ヶ月程度で終わることが多い現地での炊き出しが現在でも続いているような状況です。その要因として、能登の地震が過去の他の地震と違う点が大きく2つあります。
1つは、能登が「半島である」という地理的な要因です。たとえば2016年の熊本地震は同規模の地震でしたが、能登に比べて周辺の地域の復興が早く、1時間くらい車で走れば大きな商業施設が開いている、という状況でした。また、熊本地震では道路の復旧がすごく早く、日本の場合は道路が復旧さえすれば流通が戻るので、物資も充足して仮設住宅の建築なども早く進みました。
能登は地震で幹線道路が使えなくなってしまったため、多くの物資を一度に運び込めない状況にあります。具体的には、幹線道路を使えないことで大きなトラックが入り込めないため、途中で小型車に乗り換えて、陥没したり隆起したりしている道路を迂回しながら運搬をしているような状況で、通常であれば2時間で行ける地域へ物資を運び込むのに半日がかかってしまう、ということが起こっていました。
もう1つは、生活用水の復旧状況です。メディアでは「水道は戻っている」と報道されますが、実は個人宅の敷地内に引かれた水道管が壊れてしまっていて、すべての家で水道が使えているわけではありません。
では「水道管を工事すればいいのでは」という話になりますが、まず工事を必要としている世帯数に対して、水道工事ができる業者さんの数が足りていません。また、水道管工事は私有地での工事となるため、被災者の方が自腹で修理しなければならないという経済的な問題もあります。
そのため、現地では今も水道管を直せない状況が続いており、山奥に住まわれている方の中には山からの水を使ったり、沢の水を使ったり、古い井戸を再利用するために掘削したりしている世帯もあります。
生活用水が使えないということで、いまだにポータブルトイレのニーズはありますし、現地でのお風呂のニーズなども非常に多い状況です。自家用車などの移動手段のない方や介助が必要な方、障害や疾患をお持ちの方もいらっしゃるので、AARでは2月以降、「お風呂カー」巡回による入浴支援を続けています。
なお、一般的な介護用の入浴車は自宅から水を引いてくる仕組みになっているので、自宅で水道水が使えない今回の能登の支援では使うことができませんでした。そのため、AARの「お風呂カー」は、現地で水を調達しなくて済むようにトラックを改造して、1日に2~3回くらいお湯を変えられるタンクを積み、自宅に設置されているような湯沸かし器も積めるようにしています。この「お風呂カー」は実際にご利用される方からは、感謝の言葉を多くいただいています。
Q. お話を伺っていると、準備の時間や人件費などもかなり大きいように感じます
現地での活動は外部からは見えづらい部分も多いと思うのですが、「準備が8割」という言葉を実感するくらい、活動を開始する前の準備や仕込みが本当に大事です。
たとえば、海外の紛争地域や災害被災地の支援を検討する場合は、現地の治安や言語の壁もあります。そこをクリアして現地支援のチームが仮に編成できそうでも、それをバックアップするための日本側のデスク担当者も1人か2人は必要になります。その担当者にかかるコストは「人件費」になりますが、その費目では企業などから資金の提供を断られてしまうケースも少なくありません。しかし、資金が確保できずにその体制が組めない場合は、緊急支援の出動の判断も難しくなってしまいます。
他にも、能登の例でいえば、現地で炊き出しをされている方の中にレストランを経営していたシェフがいます。そのシェフはご自身も被災をされてお店がつぶれてしまっているのですが、現在も炊き出しを続けられています。あるとき、そのシェフの方からAARに「炊き出しを続けるためのお金がなくて困っているんです。こちらに電話すれば、何とかしてくれるかもしれないと思って電話しました」というお電話をいただきました。
お話を詳しく伺ってみると、最初の1ヶ月ぐらいは自腹とかボランティアでコミュニティ内の1500食を毎日、地元の人にも手伝ってもらったりしながら炊き出しをされていたようで、被災者が支援者でもあるというケースでした。材料費や食材は企業から提供してもらえることが多いものの、それを料理する方々の「人件費」に関しては企業などからの資金提供が受けられず、手元の資金も底をつきそうだということでご相談をいただいたのですが、コミュニティの皆さんのために炊き出しをされている方々もご自身やご家庭の生活費はかかるわけですので、これは現地の方々にとって非常に切実な問題です。
こういった現地での支援活動を長期的に持続可能なものにするためにも、現地にとって必要な活動をされる方の人件費・管理費にもしっかりとお金が流れるようにしていかないといけません。ここ数年でようやくグローバルではそういった理解が進みつつありますが、日本などではまだまだ課題がある状況です。
Q. 今後、お取り組みされたいことについてもお聞かせください
AARは発足以来、難民問題と並行して地雷問題にも取り組んでいます。AARは1979年11月に「インドシナ難民を助ける会」として発足しましたが、インドシナ難民発生の背景にはベトナム戦争があり、ベトナム戦争では実は地雷問題が隣り合わせでした。
地雷問題は、AARが障がい者支援の分野に乗りだしたきっかけでもありますが、地雷はわざと怪我をさせて障がいを負わせるために作られている非人道的な兵器です。その地雷が、カンボジア・ベトナム戦争、アフガニスタン、ウクライナ、スーダン、ミャンマーなどで数多く埋設され、問題になっています。そして地雷が1つ発見されると、その周辺には他にも地雷が埋まっている可能性があり、それがどこに埋まっているかも一切分からない。そのため、地雷に汚染された土地は「使えない土地」になってしまい現地の方々が移住しなければならなくなるため、避難民や難民が生まれてしまうきっかけになります。
つまり、地雷が障がい者と難民を生んでいるという意味で、地雷問題・障がい者問題・難民問題は切っても切り離せない関係にあるのです。地雷は埋設するコストよりも、撤去するコストのほうが100倍かかると言われるほど、撤去にはお金も時間もかかります。ウクライナでも国交を阻んでいる要因の1つが地雷問題で、その後の復興にも悪影響を及ぼします。
地雷問題は日本人にとっては身近な問題として捉えづらいため、関心を持ってもらうことがなかなか難しいのですが、AARとしてはイギリスの地雷除去NGO(The HALO Trust)とも協力して地雷・不発弾の除去活動を進めたり、現地の方々が地雷から身を守る方法を学ぶための教育にもしっかりと取り組んでいきたいと考えています。
まとめ
今回の寄付とインタビューを通じて、AAR Japanさんのご活動や現地の様子などをより深く知ることができました。国際協力や災害支援などの現場においても、「持続可能性」が重要なテーマになってきていることを知り、私たちも寄付やメディアでの発信を通じて長期的な伴走を続けていくことの意義を強く感じました。
寄付から始まったつながり。私たちの事業活動や取り組みを通じて、ほんの少しでも社会や環境が良くなるように、これからも考え実行していきたいと思います。
【関連サイト】特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)
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